<おはようございます。こんにちわです。こんばんわでございます。ばしおです>
今回は日常に潜むミステリーを紹介させていただきます。話の序盤から伏線となる要素がありますので見つけて解説より先に答えにたどり着いてみてください。
1.違和感の朝
朝、目を覚ますと、空気が少しだけ違っていた。
私は、川村紗季。高校二年生。
朝の匂いには、うるさいほうだと思う。
自分の部屋には、いつも柔らかい柔軟剤の香りがほんのり残っていて、母が淹れるコーヒーの香りが階段を伝ってくるのが、いつもの朝だった。
でも今日は、違った。
鼻の奥に、ほんのわずかな“甘ったるいような酸味”が引っかかっていた。
それは洗濯物でもコーヒーでもない、得体の知れない匂いだった。
「……なんだろう」
着替えながらふと窓を開ける。外は快晴。風も特に変なにおいはしない。
ただの気のせいだろうか。私は制服の襟を整え、階段を下りた。
2.いつもと同じ朝食のはずだった
「おはよう」
「おはよ、紗季。もうすぐ焼けるよ」
キッチンには、母がいつも通り立っていた。エプロン姿に乱れもなく、トースターの前でトーストの焼き具合を確認している。
弟の陽太はすでに席についてスマホをいじっていた。相変わらず目も合わせない。中三になってから特に、家族との会話は激減した。
「陽太、スマホばっか見てないで牛乳飲みなさい」
「……うん」
母の小言も、弟の生返事も、日常のひとコマだ。
でもやっぱり、空気にまとわりつくあの匂いは消えていなかった。
「なんか、変な匂いしない?」
「匂い? うーん……気のせいじゃない?」
母は笑ってごまかしたが、その目がほんの一瞬、泳いだのを私は見逃さなかった。
3.学校での出来事
登校中も、その匂いが気になって仕方なかった。
すれ違う人々の香水や自転車の油の匂いにも似てない、でも鼻の奥にずっと引っかかっている。
「おはよー、紗季!」
北沢翔太が、向こうから駆け寄ってきた。クラスメートで、数少ない“まともに話せる男子”。
彼といると安心する。たぶん彼も私の観察好きな性格を知っていて、バカにしないからだ。
「どうしたの? なんか元気ない?」
「うーん……なんか、家で変な匂いがして。ずっと鼻に残ってる」
「え、ガス漏れとかじゃないよね?」
「違うと思う。甘ったるいような、古くなった果物みたいな……」
「それさ、昔読んだ本に“フェロモン臭”って出てきた。匂いで違和感を察知する人って、実は直感力強いんだってさ」
「へぇ……なんか、それっぽいこと言うね」
翔太と話していると、少しだけ気が紛れた。でも、学校の空気もどこかざらついている気がした。
担任の片桐先生はいつも通りだけど、朝のHRで出欠をとるとき、陽太の名前を呼んでいた。いや、待って。陽太は中学生で、同じ学校じゃない。
――なんで先生が弟の名前を?
一瞬、背筋がひやりとした。
4.気づき始めたズレ
家に帰ると、母の姿がなかった。買い物かなと思っていたら、キッチンには“温めるだけのカレー”と手書きのメモ。
「急用で出かけます。夕飯はこれ食べてね。ママ」
私はメモの文字を見つめる。何かが引っかかる。
――母はいつも「母さん」って書くのに、「ママ」なんて書かない。
冷蔵庫のドアには貼りっぱなしの家族写真。
私、小学校低学年くらい。母と弟と並んで、父の姿はない。
父は数年前に事故で亡くなった。私はそのことを、忘れたことは一度もなかった。
でもその写真の中の弟は、どう見ても「陽太」じゃなかった。
いや、顔が違うんじゃない。髪型や服装、表情が違うのだ。
今の弟と似ているけど、「同じ」ではない。
私はアルバムを引っ張り出した。
でもそこにも、弟の成長記録がほとんど写っていないことに気づいた。
5.翔太からのヒント
翌日、翔太にそのことを相談した。
「……なんか、私の記憶が間違ってる気がしてきた。陽太って、もしかして……」
「それって、“記憶の錯綜”かもな。聞いたことある? 認知心理学の話なんだけど、人は都合の悪い記憶を塗り替えることがあるんだって」
「……都合の悪い?」
「例えば、辛い別れとか、失ったものとか。無意識に“別の記憶”で上書きしちゃうんだよ。トラウマを回避するためにさ」
その言葉に、背中がぞわりとした。
私は何かを“忘れて”いる。
いや、“忘れたことにしている”。
家の中の違和感。匂い。弟の存在。母の言動。すべてがその記憶の周りに巻きついている。
6.もう一人の弟
その夜、私はスマホのフォトアルバムをスクロールしながら、ある写真で手を止めた。
「……この子、誰?」
それは、数ヶ月前に“家族で出かけた”という記録の中にあった。
でもそこに写っている少年は、今の弟・陽太とは明らかに違う。髪型も目つきも、名前さえ思い出せない。
しかも奇妙なことに、その少年は一枚きりしか写っていなかった。他の写真では、私と母しかいないか、少年の姿が不自然に隠れていた。
胸がざわつく。
私は意を決して、母に訊いた。
「ねぇ……弟って、陽太じゃなかった?」
母は一瞬、顔を強張らせた。
「……紗季。何言ってるの?」
「私は覚えてる。“陽太じゃない弟”がいた。小さい頃、一緒にお風呂入ったり、ミニカーで遊んだり……。あの記憶、作り物じゃない。でしょ?」
母は沈黙したあと、ぽつりと呟いた。
「……あの子は、“優真(ゆうま)”よ」
胸が苦しくなる。
「優真……? じゃあ陽太って?」
「陽太は……“つくられた存在”なの。紗季の心が壊れないように……」
7.記憶の封印
三年前、家族で出かけた帰り道、事故が起きた。
トラックが信号無視で突っ込み、助手席の父と、後部座席にいた弟・優真が犠牲になった。
奇跡的に助かったのは、母と私だけ。
「でも、紗季は事故のショックで、弟のことを思い出せなくなっていたの。まるで、最初からいなかったみたいに」
その後、カウンセリングを受ける中で、主治医は言った。
「本人の心を守るために“架空の弟”の存在が生まれることもある」
そうして生まれたのが、“陽太”だった。
母はそれを否定せず、むしろ守るように「陽太」として接するようになった。
「でも、最近になって匂いや記憶の端々が崩れ始めたの。たぶん、心が回復してきた証拠……」
だから、朝の匂いが違っていたのだ。
母が隠しきれなかった“優真”のぬいぐるみや服が、どこかにまだ残っていたのだろう。
あの甘ったるく酸味のある匂いは――防虫剤と、古びたぬいぐるみに染み込んだシロップの匂いだった。
8.手紙の匂い
部屋に戻ると、机の引き出しから古い手紙が出てきた。
封筒の角がふやけていて、誰かが何度も握りしめたような跡がある。
「お姉ちゃんへ
いつもゲーム貸してくれてありがとう。
大人になったら、また一緒に遊ぼうね。
だいすき。」
署名は、“ゆうま”と書いてあった。
文字はつたないけど、たしかにあの子の筆跡だ。
手紙からは、うっすらとシロップのような匂いがした。
私は手紙を胸に抱いたまま、しばらく動けなかった。
9.ラストシーン
週末、私は小さなぬいぐるみを持って、近くの公園へ出かけた。
ベンチに座って、空を見上げる。蝉の声が遠くに響く。
「あのとき、私は忘れたかった。でも、思い出してよかった」
忘れることで守られていた自分。
でも、思い出すことで前に進める自分もいる。
私はポケットから、弟の手紙を取り出した。
そしてその下に、新しい手紙を添えた。
「ゆうまへ
思い出すのが怖かった。
でも、今は“忘れたくない”って思ってる。
ずっとありがとう。
だいすき。」
風がそっと吹き、手紙の匂いが空に舞った。
読者のあなたへ
この物語の中に出てきた「違和感」は、もしかしたらあなたの日常にも潜んでいるかもしれません。
何かがいつもと違う――そう感じたとき、そこには“思い出すべき何か”があるのかもしれません。
どうか、あなたの“大切な何か”も忘れずにいてください。

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